岩波書店「図書」に連載されていた一連のエッセイ(というのか)が、この度岩波新書から出版されたので私はそれを買って読むことにしました。なんで読もうと思ったかというと、なんか色々なところで大江健三郎追悼のエピソード集みたいなのを見ていたのでうっかりその商法にやられてしまったわけです。
タイトルなんだっけ、「親密な手紙」だ。大江健三郎は三冊読んだけど全部無理で、全部途中で「無理」ってなって辞めてしまった。(そのうちの一冊は短編集だったので言ってみれば幾編かは読んだんだけど)
無理な理由は「気持ち悪い」からなんだけど、とにかく生理的にどうしても受け付けなくて、谷崎潤一郎や泉鏡花のような、中二の入った気持ち悪さみたいんじゃなくてもっと本当に根本的に気持ち悪くて読めないので諦めたんだけど、数かすの追悼エピソード集の中に、一つ「親密な手紙」について言及しているものがあり、(たしか)他の本を買いに行ったついでに見つけたので買ってしまいました。2023年に死去したしね。
エッセイなら読めるかもって思ったんだ。
そしたら小説とはだいぶ違った意味で、全く読めないじゃないの。今半分まで来たけど、バカなの?編集者!!!!校正入れまくりなよ!?
一つの長い文章をぶった切って2つ以上のものにしなよ!!!!!なんだあの超長い意味不明文章は!!!!!!書き直しさせろ!!!
なんつう読みにくい文章だ、と思いながら一生懸命読んでいたんだけど、読みながらふと気づいたことがあります。
それは英文和訳です。英文は、一つの文章の中に主語と同士のペアが2つ以上入ることがあります。そして何と言っても特徴的なことに、修飾節という、一つの単語を文章でもって修飾するものがいくつも存在します。
例えば「これは彼が買った本です。」という文は、「これは本です。」と「彼は本を買いました。」という2つの文章を、関係代名詞を使って(省略可)一つの文章にしてしまっています。
これは彼が買った本です、くらい短ければまぁ日本語でもあるし、なにも混乱しないんだけど、この関係代名詞節が長くなればなるほど、翻訳もおかしなことになってくるわけです。だって普通日本語だと、そんなに長いこと一つの単語について、一つの文章の中で説明しないから。
だから和訳する際はわざわざ二つの文章に分けたりするわけです。だってそうしないと分かりにくいからね!!!!!!
それを普通のネイティブ日本語話者で、しかも小説家が、自分のオリジナル言語(※日本語)でやってのけるわけです。なにやってんの!!!!!
あーイライラする。
しかしイライラしながら読み進めていくうちに、だんだん、あ、これ、直訳じゃんって思えるようになってきたわけです。人間って言うのは苦境に立たされると自分をそこに適応させて何とかその中で折り合いを付けつつハピネスを見つけ出そうとする生き物だからね。
大江健三郎によって直訳された下手な和訳を読んでいると思えばそんなに苦痛じゃなくなってきたよ。そうかな!?!?!?
校正者、編集者に対して腹が立ってくるよそうなってくるよそうなると。
まぁとにかく読みにくい読みにくい。
ちなみに本屋さんに買いに行った本というのは、「ヘンな科学」という娯楽ものです。小さなうんちくもあり、すぐに読めるので暇つぶしに良いです。ただイグノーベル賞は他にもたくさん楽しい研究がある中、日本人のものばかり選ばれているのがちょっと気になったかな。あと、作者の超個人的なエピソードが挿入されていて、その中に「サンタクロース」についての言及があり、そこは投書するレベルで許せなかったので、子供には読ませるべきではない一冊。