私は失敗を恐れて生きてきました。だから先が読めないことは決してチャレンジしないし、「上手くいかないだろう」というオチが見えて初めて「上手くいかないことにチャレンジする」ということをしてきました。
必ずその後の処理まで見越して動いてきたわけよ。多くの人は私を見て、無謀でチャレンジングだと思っているかもしれないけど、そんなことないんだぜ。絶対に失敗しないで生きてきたんや。失敗しているように見えたらそれは、私も分かっている、計算通りのオチなんだぜ。
でも、世の中には私よりさらに失敗を恐れる人がいて、例えば失敗する未来が見えていなくても、失敗したくないのでチャレンジそのものをしないという人がいるわけです。
やってみないと分からない、じゃなくて、やってみて万が一上手くいかなかったらいけないっていうかんじ?
私は結構失敗しておいしい思いをするところまでがひと段落なので、絶対ミスれない人々を見ると、気にせずやっちゃえよ!って思うわけです。いや別にやらなくてもいいんだけど。
私はそういう人の気持ちがよくわかるので出来るだけそういう人たちにチャレンジしやすい環境をその場で作り上げるように努力しています。まず進んで失敗してみるとかね。そんで失敗しても大したことないんだっていうのを示してあげて、次の人がやりやすいようにしたりね。
あまりにも近い相手(自分の子供とかね)だと、その環境づくりを日々行い過ぎているのでその中でもなお「絶対間違えたくない!!」って態度を取られると、もうどうしようもないわけです。特にうちの末っ子は「あんたまず失敗したじゃないのよ」って感じで絶対後に続かないんですよ。
失敗に限らず、たとえばカラオケでマイクを持って歌うとかねそういうのも、勇気が必要なことじゃん?私にはそんなことは勇気は不要だけど、カラオケで歌えない人ってたくさんいるじゃん?
うちの末っ子がさ、、、私の後に続きやすいように私が「ぼくコッシ―」を歌ったらこの上なく嫌そうな顔して、直前まで歌う気満々だったのに私の歌を聞いてそれ以来一切歌わなくなっちゃったんだよね……。初動をミスった悪例。こういうのはもうミスっちゃったからどうしようもないんだけど、一回でいいから勇気を振り絞ってチャレンジしてみてほしいね。急がないからさ。周りが楽しそうにしているのを見て、自分もやってみたいなって思うだけでもいいからさ。
しかし私の歌を聞いてから、「あーはなりたくない」って思ったとしたらかなり失礼な話だなおい。