友達#とは

BBAになると、辺りを見回すと分かりますが、「ママ友」と呼ばれる人々と集い、ランチ会というものを催します。そこにおいてBBAは何をするのかというと、延々と、自らの日常を同席のBBAどもに向けて喋り続けるわけです。

これは、日頃から誰か「誰でも良い相手」に向けて喋って発散出来る人々にとっては大変利害関係の一致する行為で、お互いが、お互いの話から、いくつかのキーワードを拾い上げ、そのキーワードまたはキーセンテンスをもとに自らの話を繰り広げ、相手方向に向けて投げ返すというものすごい高度なキャッチボールな訳です。

しかしながらこの際の話題は、お互いが理解し合える範囲で行わなければならず、自らは傷が付かない噂話やテレビの話題などがメインとなります。

自分の家族の話や政治の話、それから少しでもディープな趣味の話なんかは避けなければなりません。旦那の年収だのボーナスだのは、相手(の旦那さん)の年収やボーナスより遥かに低い場合や遥かに高い場合、またはそのように算段される場合は話題としてタブーですが、相手の年収やボーナスの額なんかが聞き出せそうな場合、それとなく情報を提供したりすることもあります(白目)。また、自らの親族関係者の生活レベルによるマウンティングなんかはしばしば見受けることがあります。

私にとっての一番の話題とは、今読んでいる本のことであり、今やっているゲームのことであり、音楽であり、また社会についての諸々なわけです。それについてもわざわざ口に出して喋るようなことではないので、話題というほどのものでもないわけです。つまりいわゆる一般的な話題(噂話とも言う)に興味がないとか、芸能人の顔と名前を知らないとか、テレビを全く見ない私のような人間には、相手側に向かって投げる話題もないため、この「ランチ会」というものは、例えて言うなら千本ノックを打ち返さず体に当てて受けているだけみたいなもので、苦痛以外何者でもないわけです。

しかしながら性格上、誘いを断るのも難しく、かつ参加する場合は少しでも場を盛り上げなければという異方向の使命感により、1年に1回くらいは何らかのランチ会に参加せざるを得ない状況に陥ります。

出来る限りランチ会のお誘いは断っているのですが、なかなかそうも行かず、毎回行くたびに顔が引きつったまま戻らないという時間を過ごしています。

で、何が言いたかったんだっけ、あ、そうだ、友達とはの話です。

ママ友という言葉から類推するに、友達というのはお互い様な関係で、何らかの利害関係が無いと友達とは呼ばないのではないかと思うわけです。

利害関係とか冷たい!利己主義的!!ってなるのかな。普通友達って言ったらそんな利害関係とか無しに友達なのかな。

私にとって友達とは、お互いがお互いから何かしら得るものがあり、一方向では無い関係をさすものです。彼女または彼は私のために心を痛め、私のことを助けてくれる人です。もちろん私も友達のために心を痛め、出来る限り友達を助けます。そういうもんだと思うので、関係が一方向になってしまったらもはや友達とは呼ばないのです。

そんなわけで、小学生の頃から、何十年も友達だった人と最近縁を切りました。(ママ友じゃないよ。)

生活も変わったし、どんな理由があるのか知らないけど仕方ないね。彼女とは色々あったけど、縁を切ることに対する罪悪感もあってこんな長い文になってしもうた。

元お気に入りの時計(ベルトが破れて今はもうどっか行った)