現存する作家の作品

ちょっと現存の意味間違えてる。

私の読書ポリシーの一つに、存命の日本人作家の作品(小説)は読まないっていうのがある。理由はまあ後で述べるとして、存命の作家はいくらタイトルを見ても内容をチラ見しても全然興味がわかない。海外文学物は最先端を読みたいといつも思うんだけど、つまりそれは異文化交流だからであって、別に小説の内容というのかストーリーというか語り口に興味を持っているわけではないんだ。

そんな私が、小説を読まない2番目(第2子)に何となく買い与えた「短編工場」というものがある。

最先端の有名作家たちが書いた短編集なんだけど、よく見かける伊坂幸太郎とか宮部みゆきとかの短編がずらずらと並んでいる。

別に私は読む気はなかったんだけど、子供に買い与えておいて自分が内容を読んだことないっていうのもどうなのかなって思って、パラパラと読み始めたわけです。一番最初のページから読まないのが私。

真ん中くらいから3編ほど読んだ後、思いました。

面白い。

面白かった。でもそれ以上は読むのをやめました。すべて(というか3編)が、完璧なまでに「起承転結」と分かれていて、パチンパチンと音が聞こえんばかりの整然さ。なんでここまで起承転結がはっきりしないといけないのか。小説は自由ではいけないのか。いけないの?知らんけど?だめ?

まぁそれでひしひしと感じたのが、私はやっぱり人の吐き出したものを楽しむ能力が薄いっていうこと。自分が発信する側だからなのか、人の生み出したものを楽しめないタイプなのかそれとも普通に面白くな

いやあノそういうと語弊が(動揺

今生きている作家が我に与えしものは、私は要らないと思いました。自分が欲しくないものを子供に買い与えるのは間違ってるなって思って、子供にも与えるのはやめました。

その話を長子にしたら長子は「私とは真逆だね!私は作者が生きてないと読む気が起きない」と言っていました。理由は続編が出る可能性がゼロだからだそうです。

完結してしまっているのを読みたくないんだってさ。

私は古典が好きです。完全に作者生きてない。完結してるだけでなく時代を経て尚多くの人を楽しませる尋常でないストーリーの面白さがあるからです。もちろん生きている作家のも将来的に古典になるでしょう。古典になったら読むわ。私あんまり読書が好きじゃないんだと思う。読むの遅いし。だからよっぽど面白いものが読みたいんだと思う。

「短編工場」は、起承転結が整然と並んだ、起承転結の隊列のような1冊でした。この表紙の絵が内容を表しているようだ。