世の中はソーシャルメディアによって激しく分断されている。
教育、思考が十分になされていない状態でソーシャルメディアに手足を突っ込むから簡単に思考を支配されてしまう。そうやって思考を支配された人々に対して、教育、思考がなされて来た人達が「何でこうなった。ああ、あいつらのせいか」と怒りを覚え、溝は深まる。
まるで最近の民主党と共和党みたいじゃないか。
共和党がまさかブルーカラーの代弁者になる(のふりをする)日が来るとはなあ。アメリカみたいに超あからさまに階級が目に見えていた国ですらこうだから。宗主国に巻かれる日本もそれに倣うのかな。
それとも人間ってそういうものなのかな。
夫のいう、「私が好きなこと」の一つに「底辺ウォッチング」(夫命名)があるんだけど、ゾラの描く小説の世界を底辺として、そういう生々しい人たちを観察するのが好きなんだって夫は言っていたけど、底辺ウォッチングを続けているうちに段々と底辺と人間そのものが嫌いになりつつある笑
これじゃあまるで森鴎外じゃないか。貧乏人を美しいものだと決めつけて貧乏人の不幸にも御涙頂戴人生を描いていた理想主義者じゃないか。
底辺ウォッチングを続けていると、人間って、教育によってしか「人間らしさ」って身につかないんだなって、諦めに近いものを感じる。
じゃあつまり人間らしさって何なのか。
底辺の人間の数が増えればその定義も変わってくるのかもしれない。
あんま勉強し過ぎるのも良くないね。