今まで気にならなかったものが気になる

ヒトは、誰かほかの人が文字化したものに影響を受ける生き物である。文字とか言葉の持つ影響力は本当に計り知れない。脳がバカだからすぐ文字化されると信じちゃうの。

最近でいうと、「~させていただく」というダブル敬語表現が気になって気になって仕方がない。

どこかの大学の先生が「~させていただくが気になって気になって仕方がない」っていうから「そんなもんかなあ?」って思ってるうちにわざわざ~させていただくという言い方をどこからでも拾ってきては気になって気になって仕方が無くて、また探し出して気になっている。

今日はネットで買った商品が送られてくるらしく、ネットのお店から来たメールが「本日、商品を送付させていただきます。」っていうタイトルでもう気になって気になって仕事が手につかない。こまっちゃう。

送付いたしますでいいんだよ!いや、今まで全然気にならなかったことなのにその先生(誰だか分らん)のせいですっかり気になって仕方がない人生になってしまったよ。

言語って言うのは人間が使うものであり、人間は日々環境によって変化していくものなので、当然言語も変化していくわけです。その変化についていけない人たちが言語の変化について「正しくない」と騒ぐわけです。だから実は例えば子供が学校で仕入れてきた表現なんかを「間違っているから」と正すのは、親としてはやったほうがいいのかも知れないけど、個人に与える影響はとても大きいので私はやらないようにしている。

「ら」抜き言葉もしかり、私は子供のころ、親にら抜き言葉を訂正され、それは間違っているだの気に入らないだの言われてきたので、ら抜き言葉を聞くと今でも気持ちが落ち着かない。だから子供たちがら抜き言葉で喋っても訂正せずに生きてきたわけです。

しかしながら長子が学校の先生に言われたのか、または何等かの理由で自分で気づいたのか知らんけど、下の子たちのら抜き言葉を訂正し始めたのです。

ああああ。おれの苦労は。今までの苦労は。

言語は日々変わるのだから、気に入らなくても受け入れなければならないと長子に伝えるも、長子は下の子たちのら抜き言葉を片っ端から訂正しまくりの日々。

自分はら抜き言葉を使わないが人が使っても訂正するなと言ったんだけどだめだった。今や我が家においては、夫だけ「ら抜き言葉」をしゃべり、それ以外の家族メンバー全員が「ら」を入れて喋る一家になってしまった。

考えを押し付けるのはよくないと思い、自分の考えを言わずに行くと、勝手に外から別の意見を押し付けられ、それを自分の意見としてしまうので、子供たちには予め、より広い意見を伝えておかねばならないと思う次第でございます。