松本清張を読む

松本清張は実家にたくさんあったけど、私は一冊も読む気がしなかった作家のひとりです。なぜなら当時はまだ生きていたから。92年まで生きていたらしい。

私は翻訳された外国文学または作者が死んだ日本文学しか読まないと固く心に誓っているのです。誓った覚えはないんだけど、本を手に取って、作者がまだ生きてるって知るといきなりその先が読めなくなっちゃう。なんでだろ。本を読むのがあんまり好きじゃないのかもしれない。読むことに時間を取られたくないから完成したものだけを読みたいのかもしれない。と思ったけどそうでもないのかな。

文学といえば作者は死んでるものだという強い刷り込みがあるせいかもしれない。それ以外はエンターテイメント。エッセイ。雑誌の記事。そんな分類になっている気がします。みつを。

みつをは生きている間にも私の母親が心酔していたので実家のトイレにはみつをカレンダーがかけられていました。トイレなのが笑う。

みつをは説教臭くて大嫌いでしたが、世の中のエンターテイナーズがなんでも語尾にみつを。を付け出したのでちょっと許せるようになりました。みつを。

松本清張「ゼロの焦点」が面白過ぎて朝4時までかけて一気に読み切ったわけですが、ゼロの焦点は、書かれたころはまだ戦争に参加した人たちが現役の時代で、戦後の日本を、まさにそこを舞台に生きてきた人たちの物語です。テレビもラジオもあるけど、戦争に参加した人たちがまだ30代。

今でもまだ当時の人間が生きているけど、社会や生活、価値観すべてにおいて今の時代と全く異なる時代の話だから、今でも「理解」はできるけど「実感」とか「同意」とかそういうのは全く湧いてこない、なんていうかとても不思議な感覚の中で読みました。

電車を汽車と呼び、北陸に行くには夜行に乗り、女性は着物を着ています。電話機も下手したら喋る方と聞く方が別の機械。個人情報保護法もなく、ケーサツだろうがアパートの隣んちだろうが市役所だろうが、誰でも誰の個人情報でも教えてくれる。

ラジオも生放送だけじゃなくて録音もある。そんな時代。

古典じゃないけど現代でもない。昭和時代に近代(明治あたりの)文学を読んでいる感じ。そういう古典的な感覚と、つい先日の理解できる感覚が入り混じるすごい体験でした。

そんでそれが超面白かった。北陸に対する陰鬱な、寒々しいイメージがめちゃくちゃ植えつけられたので、何か作業をしていて「寒い」と感じた瞬間、北陸の崖っぷちに吹きすさぶ強い風と、「ざざーん!」ていう海のあの感じ(漠然としたイメージ)が浮かぶようになってしまいました。

私の中での北陸のイメージは今までは「実家大好き」オンリーでした(笑)。北陸の人ってみんな東京に働きに出てるのに休みのたびに実家に帰って、お肌つやっつやになって帰ってくるんだもの。笑