ヒトはある程度暇な時間が出来ると、アレコレと色んなことを考えるわけです。考えない人もいるかもしれない。考えない人は幸いである。考える必要がないということだから。
私はいつも絶対の探求をしてきたわけですが、その中に、強く「幸せになりたい」と願うことがありました。強い願いなので、では幸せになるというのはどういうことなのか?と常日頃、目指すゴールを設定すべく、考えてきたわけです。
まぁ今は「猫」って知っちゃってるからさ、幸せについて考える必要もなくなってしまったんだけどさ。(猫が隣の椅子に座って顔を洗っているのをニコニコ眺めながら)
そんな私なので、例えば死にたいって思ってる人は「死について」とか、「ヒトは何で死にたいと考えるのか」、とか考えがちなんだろうと思うわけです。
だから例えば子供たちが「なんでヒトは死にたがるの」とか言葉に出したりするとちょっとヒヤッとします。常日頃から何となく頭の中に存在する概念を文字化、言語化することが考えることだとすると、子供たちは死にたいと考えている可能性がゼロではないからです。
上の二人は特に、割と大きくなるまで「自分が育てられてきたように育てる」(本当に嫌だったことと、して欲しかったことは除いて)ことが「正しい子育て」だと信じていたので、親が私にしてきた、人格否定、能力否定、あらゆる否定も「正しいこと」だと信じてあえて行ってきたところがあります。今では本当にごめんとしか言いようがないんだけど。だからその分下の子たちより自己肯定感が低めだろうし(※憶測)死にたいと簡単に思えてしまってもおかしくないのです。だから心理学を勉強したいと口に出したりなぜ死にたいとヒトが思っているのか考えこんだりする上の二人を見ると、申し訳ないと思うわけです。
普通に友達の家庭環境に問題があって、その子たちの性格が歪んでいるのを見て興味を持っただけかもしれないけどね!だからあえて心理学的なことに興味を持っても本人たちには「私が悪い」とは伝えずにおります。
自分で到達すべきことだし、親がそこで興味の芽を摘む意味もないしね。
なんでこんなことを書いているかというと、松戸の、可愛い女の子二人が飛び降り自殺した時、なんと直前まで、というか死んだ後も、自らの自殺を配信していたという話を聞いたからです。本当にショックで、思わず配信を検索しちゃったよ。見たいわけじゃなかったんだけど、可愛い2人が直前に手を震わせながら悲しそうにしているのだけを見て、本当に悲しくなってしまったよ。その1秒くらいだけ見た。
他人だけど、助けられるものなら助けたかったよ。そんなに怖いのに更に怖くて痛い思いして死んじゃうなんて。生きる方がもっと怖くて痛かったのかもしれないね。;;
その子たちはどうして死んじゃったのか分からないままだけど、私利私欲にまみれた醜い政治家や金持ちは、自殺志願者もそうだけど、もう少し視野を広げられるといいね。
若いうちと、それから年を取った後は脳の機能が衰え(或いは未発達)ているので偏桃体を制御しきれないんだって。だから死にたいと感じたらまず勉強するんだ!勉強が嫌なら運動するんだ!それか猫を触るんだ。。。とにかく死ぬな……!