私は割とパワハラ気質な方だと思う。自分がね。いや、かつてはパワハラ気質の持ち主だったが今では全然そんなことはない。
なぜかというと、ものすごい「人に嫌われたくない」心と、「人を教育しなきゃいけない使命感」的なものと、「ものすごい被害妄想」を持ち合わせていたから。
教育しなきゃいけない使命感は割と親が教員の子に多いよ、親がそうやって子供を育てるから子供も「周りの子をしつけなきゃ!!」みたいな使命感に取らわれがち。
そこに被害妄想が加わるともうこれがものすごいパワーハラスメント体質を作り上げるわけです。私はそこに「働いてない」が加わったので(ここ泣くとこ)パワハラは行わずに済んでいたわけですが、恐らく同じように育った人々が世の中で大声出してパワハラを行っているわけです。
被害妄想ってのは、平常文のすべてが自分を責めているように聞こえる妄想のことです。平常文が投げかけられるとすべて「お前が悪いからお前が責任を取れ」と聞こえます。不思議でしょう?なぜそう聞こえるかというと、これまた幼少期の親の態度にあるのですが、あらゆることにおける責任をその存在に求めるからです。世の中に割と沢山います。
「悪いこと」をするとその「悪いこと」をした存在そのものが悪だからお前は出ていくか死ぬかしろということです。(;゚Д゚)
んなばかな。そもそも善悪の絶対さえ存在しないのに大して頭を使ってこなかった、思考停止の一人間が純粋無垢な子供を善悪で判断するなんておこがましいにもほどがある。
そういう親の存在は子供を否定し、子供の考える能力を奪い、そして子供は親が喜ぶような、親のトロフィーになるような思考を持たざるを得なくなるのです。
親の視野が狭いと子供もそれ以上広げてもらえないから大変よ。
私はとても賢い子だったのと、親があんまり家にいなかったおかげで無事「お前が間違っている」と言えたのですが、そうじゃない人もたくさんいるわけです。賢くて良かった。
そういうわけで周りにもしパワハラ人間が存在したとすると、そのヒトをよく観察してみると良いです。かれらは弱く、苦しみ、そして世界が自分のものだと勘違いしていることでしょう。
気質ってそう変わるもんじゃないけど、わざわざ変わってみるのはすごく良いよ。パワハラ気質のやつらは試してみて。