大人になると受け付けなくなるということ

子供のころ読んだ森鴎外「山椒大夫」は、恐怖のどん底に叩き落されたのと同時に、色々な思いが錯綜して号泣するような小説だった。

大人になってから読む森鴎外は、「フン所詮金持ちの妄想だろ」っていう、ものすごいひねくれた、もう二度と金持ちの地位に自分がいることはあるまいという暗黙の納得の元にひり出された感想しか出て来なくなる。

金持ちから見る貧乏人というのは、何故か常に清らかで、自己犠牲の精神にのっとった美しいものである。これは子供から見た貧乏人と重なる視点であり、これが大人(リアルビンボー)になってくると、「くそかよ全く分かってねえな!所詮その程度の想像力しかないのかよ」という悲しみの感想文が出てくるのです。本当だよ、嘘だと思うならまず全財産を私によこしてみな?

まぁそんなわけで、多くの作品に関しては、あるきまった年齢のうちに鑑賞しなければいけないという、旬みたいなものがあるわけです。

ケッってならないように、あらゆるものを、若いうちに吸収し、大人になってから得るであろうそのケッを少しでも少なくするためにも、小さいうちに色んなものに触れておく。大切なことだと思います。

だってこの世は狭い中で金が流通しているんだもの。人間はその狭い中で稼がなきゃいけないんだもの。。。

最終的に最後まで残るのは自然だと思います。自然ってのは人間が作るあらゆるものを簡単に凌駕し、超越してくるからです。子供のうちに自然に囲まれ、色んなことを吸収しまくり、大人になったら金を稼ぎ、そして自然への敬愛を忘れずにいると、視野の広さも保てるし、あとで惨めな虚しさにさいなまれなくて済むのです。

自然というか地球パイセンへの畏敬の念と、自分の小ささを日々実感して、少しでも良い人生を送れるように邁進していきたいです。