昨日(12月22日)ブルガーコフの「白衛軍」を見に行きました。
千秋楽で、こなれてきた人々だった。
ウクライナの人の書いたものを見ると、そんな沢山読んでないけどみんなこの時代の(ロシア帝政の終了→ソヴィエト連邦)を思い出して、ひどい目に遭ったって言ってて、特にウクライナ人は誇り高きコサックの民族、帝政ロシア時代に農奴を大量に持っていた白い貴族、ユダヤ人等色んな人々が集まってるところで、この白衛軍の舞台はそんな人々がアレコレほんろうされる話なわけです。
多分。
劇は3時間くらいあって、最初の方ぐうぐう寝てました(照)。
途中から起きてちゃんと見たんだけど、背景が分からない人々にもちゃんと大事なことが伝わったんじゃないかと思います。
「なんで戦争なんかするんだ!!」
「なんで戦争なんかしたがるんだ!!!」
「何のために戦争なんてするんだ!!」
と何度も言ってたからね。
ウクライナで暮らしていた「普通の貴族」はそれぞれの立場で従軍し、結局何が何だか分からないまま死んじゃったり、戦争が終わったらボリシェヴィキばんざーいって言いだしたり、いや、またウクライナは誇り高き帝国を築くんだって言ったりむちゃくちゃだったんじゃないか。
そんな中で、詩人っていうのは、いつの時代も戦争に疑問を持ち、自分を見失わず、記録者となりのちの時代の詩人たちにその思いを残す。
ロシア(旧ソヴィエト圏)では、共産主義革命が起きた後でも詩人は大切にされたし、それこそ末端の国民までプーシキンを暗唱し、途中まではチェーホフみたいな超文学作家までもが国の中枢を担ったという、詩と文学を尊敬するところだったんだね。(つっても途中から政治活動する詩人や政権の意に反する詩人、文学者はみんな迫害されてるんだけど)
芸術を捨てたら人類終わりだと思うんだよね。
芸術は分からんっていうくそみたいに頭の悪い政府でも、分からないなりに芸術家を保護して人間としての尊敬は捨てなかったのに、今は世界中でくそみたいに頭の悪い政府は芸術を否定し、くそみたいに頭の悪い資本家は芸術と名付けられた嘲笑に9億も払う。
歴史の長い独裁国家中国の歴史を見ていれば、誰が仁君で誰がゴミとされている惨めな君主か一目瞭然なのに誰も仁君を目指さない。小人(しょうにん)が権力を持つ嫌な時代になったものだ。
と、白衛軍を観て思いました。
あと、ポスター↓に反して、舞台にウマが全然出てこなくて悲しかった。
