森林太郎の軍医時代の手紙が出てきたって記事を見かけました。
読者としては、作者がどんな感じの人生を送ってその作品を書いてきたのか、とても気になるところではあります。
例えばゾラは「制作」の中にプロヴァンス時代からの友人であったセザンヌらしき人物を登場させています。「制作」は、読めば読むほど「ああっ!これは印象派の誰だっ!モネなのか!いやでもこの辺はルノアールぽい!いや待てよ、この絵はマネじゃないか!スーラ出てきた!?」みたいな描写がたくさん出てきて本当にこうふんします。
実際のところゾラは本当に印象派の画家たちと交流があり、肖像画を描いてもらったりしています。その中でもセザンヌは子供時代からの仲良しだったわけです。
作中に登場する「作家夫妻」に関する描写は、遠慮がちに表現され、殊にその妻に対してはもうこの上なく遠回しに「絶対怒られないように」丁寧に語られています。私は思わず唾を飲みました。
「妻を恐れている」と(笑)。
ゾラに関して語りだすと何百行になるか知らないのでこの辺で我慢するとして、そんなわけで、作家の詳細な生き様やリアル人生なんかは、その作品をより深く味わうのに不可欠な要素であります。
で、よく思うのが、石原慎太郎とか、村上春樹研究をしてる人達に対してなんだけど、
「え?本人まだ生きてるよ?本人に聞けばよくない?」
石原慎太郎を今から研究する人がある程度資料のみで研究を進める必要があるのは想像に難くないけども(石原慎太郎の手書きや言動を見れば明らか)、村上春樹超現役だよ?
村上春樹研究者で、本人に聞かないのはもはや二次創作の世界ではないかと思ってしまうわけです。
本人に聞いても教えなーいとか言われるのかな。ケチなのかな。
まあ、執拗に、作品について「ねえねえここはどういう気持ちで書いたの?ねえねえ、子熊ちゃんってなんで子熊ちゃんが素敵だと思うの??子熊ちゃんて(笑)」とか聞いてくる奴気持ち悪いし「そういうのって受け止め方次第だから一々聞かないで???????」て思うだろうなあ。笑
要するに、研究するなら、作家が人生を引退してからの方がいいんだなっていうジレンマを覚えたわけです。
あとiOSの変換が酷すぎるから見て。
ゾラは何回変換しても「ザラ」にしてくるし。ばかすぎる。