見た

例の映画を見ました。2回も。二日連続。

1日目は3番目の都合に合わせて海の日という激混み日程で行ってきました。これが上下左右を老若男女に挟まれてストレス満載。

しかし映画が始まったら隣のBBAがポップコーンをもりもり食い続けていたことを除いておおむね静かでよかったです。2日目は、ウチも見た~いっていう2番目と二人で行きました。2日目は、家に帰ってきた2番目(つっても私が迎えに行ったんだけど)と何となく話しながら、「今からいく?」って感じで行きました。15時50分からの回で、終わるのが18時過ぎという時間帯なのに突然思い立って行けるようになって、子供たちが大きくなった喜びをかみしめました。18時に終わるなんて、とてもじゃないけど小さい子がいたら無理なんだよ!なぜなら我が家は小さいうちは19時に寝てるからな!もう21時にずれちゃってるけど。末っ子ごめんね;;

そしたらやっぱり子育て中の人たちが行けない、かつ、17時まで働いている人たちもいけないという最高の時間帯だったので館内は異常に空いていました。お客さん全部で20人くらい。1日目の満席っぷりから比べると誰もいないに等しい。超空いてました。ブラボー!

映画の感想を述べようとすると全部ネタバレになる恐れがある。すごい。予告編を作らないって言うのはこういうことなんだ。

ジブリ好きかどうかと聞かれたらトトロは好き。他は知らん。と答える私ですがこれは好きだなぁ。だから多分トトロが好きな人は好き多分。

ストーリーとか無いよ多分アレ。あこれもネタバレか?

普通にアレを嫌いって人は恐らくジブリ映画に過大な期待を抱いている人なんじゃないかと思います。私そんな期待とかないからさ、すごい良かったって思えたんじゃないかな。

インターステラー好きな人は多分好き。多分。

こだわりの強い人っていうのは、大衆を制するなあ。

プロのイラストレーター

先日プロのデザイナーの友達に「プロのイラストレーター名乗れば?」と言われたので名乗っちゃう?名乗っちゃう?って今なっています。

お金をもらったらプロだよね。だから名乗れる。名乗ればプロ。というわけで名乗ろうかと思ったんだけど、え、ほんと?いいの?(動揺)

お金もらうよ?お絵かき頼んだら?いいの?

田野美奈代。何この変換。「頼みなよ」って入れたら田野さんになっちゃったよ。

名刺に田野美奈代って書こうかな。美奈代って顔じゃないけどよ。

名刺作るところから始めようと思います。仕事募集。

ホルモン

随分前に、性転換男性(元女性)が男性ホルモンを注射したら誰から見ても(本人から見ても)全く別人のようになったという話をしたと思うんだけど、りゅうちぇるさんが女性ホルモンを入れて心が不安定になってじさつに至ったのかもしれないという話をチラッとみて、なるほどと思ったわけです。世の中にはしにたいと日々思っている人たちが沢山いるけど、もし彼らに男性ホルモンを注射したら死にたい気持ちは消えるのかしら?と考えたわけです。

私が日々死にたいと感じているのは(死にたいわけじゃないんだ。逃げ出したいだけなんだ。金さえあればいける)ずっと親がクソ過ぎたせいかと思っていたんだけど、ひょっとしたら普通にホルモンの問題なのかもしれないと思い直したわけです。

私は死にたいわけじゃないんだけど、だって痛いのもつらいのも苦しいのも嫌だし体中の37兆の細胞が生きようとしているのにそれにあらがうとかあり得ないし。でも鬱々とすることもままあるわけです。男になりたくないしやる気もないけど試しに誰か死にたい人に男性ホルモンを注射したら・・・・自分じゃなくて誰か別の人間を襲ったりしてね。

世の中を少しでも良くするために金持ちから税金を取らなきゃいけないのに、日本政府は貧乏人にさらなる課税を試みている。

こんな日本政府に口ばっかり文句言って選挙すらいかない国民。鬱々としちゃうよね。

大人になると受け付けなくなるということ

子供のころ読んだ森鴎外「山椒大夫」は、恐怖のどん底に叩き落されたのと同時に、色々な思いが錯綜して号泣するような小説だった。

大人になってから読む森鴎外は、「フン所詮金持ちの妄想だろ」っていう、ものすごいひねくれた、もう二度と金持ちの地位に自分がいることはあるまいという暗黙の納得の元にひり出された感想しか出て来なくなる。

金持ちから見る貧乏人というのは、何故か常に清らかで、自己犠牲の精神にのっとった美しいものである。これは子供から見た貧乏人と重なる視点であり、これが大人(リアルビンボー)になってくると、「くそかよ全く分かってねえな!所詮その程度の想像力しかないのかよ」という悲しみの感想文が出てくるのです。本当だよ、嘘だと思うならまず全財産を私によこしてみな?

まぁそんなわけで、多くの作品に関しては、あるきまった年齢のうちに鑑賞しなければいけないという、旬みたいなものがあるわけです。

ケッってならないように、あらゆるものを、若いうちに吸収し、大人になってから得るであろうそのケッを少しでも少なくするためにも、小さいうちに色んなものに触れておく。大切なことだと思います。

だってこの世は狭い中で金が流通しているんだもの。人間はその狭い中で稼がなきゃいけないんだもの。。。

最終的に最後まで残るのは自然だと思います。自然ってのは人間が作るあらゆるものを簡単に凌駕し、超越してくるからです。子供のうちに自然に囲まれ、色んなことを吸収しまくり、大人になったら金を稼ぎ、そして自然への敬愛を忘れずにいると、視野の広さも保てるし、あとで惨めな虚しさにさいなまれなくて済むのです。

自然というか地球パイセンへの畏敬の念と、自分の小ささを日々実感して、少しでも良い人生を送れるように邁進していきたいです。

よかった。

お絵描きのお仕事が一個終わりました。よかった。素晴らしい出来上がりだった。プロデューサー(依頼主である友達)とデザイナー(友達)のおかげ。私はただiPadでいわれるがままにお絵描きをしました。

細かい修正がちょくちょく流れてきて大変でしたが、こっそりこだわり続けた箇所(めちゃくちゃ細かいところ)が最終的に依頼主に指摘されずに残り、完成品がとても良かったのでもっと他のも言われるがままに直してるふりしてこだわりを捨てずにいたらよかったなとちょっと思いました。でもこだわり大事だなと今回強く思いました。よかった。

お金ももらったのでもうプロ名乗ってもいいかな。だめかな。

これを機にお絵描きの依頼をしてもいいんだよ?今ならまだイラレのライセンス中だからイラレで描くよ?いや描かない。fresco使う。fresco大好き。

mayoi

Adobe frescoというアプリがあるんですが、これが私の実際の技術以上に上手に色を塗ってくれるので、このアプリでお絵描きをするのが大好きなのですが、あまりに色塗りが上手いのでついリアルに塗りたくなっちゃうわけです。しかしそんなにリアルにするなら写真でよくね?っていつも思うわけです。

超細密画(鉛筆)とかは実物を見ると鉛筆の線が見えたりして面白いんだろうけど、お絵描きアプリで写真みたいな上手い絵を描く意味がない。

でも色塗りがとても楽しい。でも完成作品に意味がない。

というわけですごい迷いが生じるわけです。欲しくないけど描きたい。いいこれ?w

小さなキャンバスに小さな絵を描くと、多少デッサンが狂っていても何となく上手く見えるのでLINEスタンプ何かは丁度良いのですが、写真みたいなスタンプ作ったところでどうすんだよって話になるわけです。頑張ってデフォルメしてこう?

あぶねっ

早く来たのに働き始めてしまっていたよ。危なかった。自然に働く私真面目すぎ。ダニのダニーが家の中で繁殖を続けているので毎日毎日布団に掃除機をかけてから寝るようにしていますが、昨日掃除機かけなかったら頭刺された。まじかよダニー。

トランポリン飛ばないと。

昨日は灼熱地獄みたいな炎天下の中、授業参観(体育)でした。地獄とはまさにこのこと。しかし子供たちは水の中だったので涼し気でした。私は地獄だったわ?でも末っ子の楽しそうな姿を見ることが出来たので良しとしたい。(頭をボリボリ掻きながら)

ねこちゃん

活動家の皆さんは日々TNRを続けているわけですが、実際のところ、現実的じゃないかもしれないけど、TNR活動が功を奏して、野良猫が一匹もいなくなったらどうなるんだろう。世の中から野良猫が一匹もいなくなって、ねこをもし飼いたくなったら、ペットショップかブリーダーからお金を払って買わなきゃいけなくなるのかな。

そんなことしていいの?!

犬はさ、野良犬は、狂犬病の元だから一匹も居なくてもまぁ仕方ないし安全だろうなと思うんだけど、ねこはそうじゃなくない?

野良猫が世界から、というか日本から消えたら……悲しい。

イスタンブールみたいに人々が犬猫を超愛して、税金で管理(病院、予防接種、避妊去勢全部負担)して、街中に猫があふれているような世界をなぜみんな真似しないのかな。

どうせ税金で殺処分してるなら、税金で避妊去勢して町に放てばいいのに。もちろん猫を虐待する奴は全員死刑。道端に猫たちが腹を見せて寝ている風景は本当に素敵でしょうね。日本でもそうなればいいのに。

線を引かない

私は分類がとても苦手で、本棚とか、何系はここ、とか、何文学はここ、とかそういう分け方が出来ないので一冊一冊が独立しています。シリーズものが隣同士に並んでないのは単に雑だからなんだけど。

でそれは何でかというと、一般人より記憶力が優れており、こう、まとめる必要が無かったからなんですよ。あいまいなところをまとめるんじゃなくてあいまいなまま、そのままの形で完全記憶していられるから、分類する必要がなかったの。

誰誰の書いた何とかという本はどこか、本棚の左上の○○という本の隣だとかそういう感じで完全に覚えてたのよ。

(過去形)

分類とか片付けが苦手な人ってのは、別に片付ける必要を感じないからなんじゃないかと思っていました。だって床に落ちてるものすべて記憶してるし、どこに何があるのか全部配置記憶出来るんだもの。探す必要がなかったんだもの。

(過去形)

アレだわ、線をひかない、結論にたどり着かないというか保留するというのは十分に頭が良くないと出来ないことだったんですよ。断定しまくり人間結構いるけど(うちの配偶者)彼らは頭が悪いので、既存の型にはめることによって分類し、諸々をまとめて記憶するということをしているわけです。

ごちゃごちゃした部屋が思考を乱すのは集中力が十分に無いせいだし、片付けて余計なものを無くすことによりようやく思考に集中出来るってことなんだよ。

今ならわかるよ、片付けなきゃいけない理由がさ。

そう、今ならね。(フッ)

よろしくワールド。

愚痴

吐き出しても意味がないんだけど、吐き出すと多分何らかの解決策を導き出せるのが私にとっての愚痴です。世の中の愚痴は単に吐き出すだけ。解決策までたどり着かない。

だから友人は私に愚痴って「スッキリした」というわけです。結局どうしたいのか自分で分からないというか判断が付きかねるから愚痴るんじゃないの。吐き出すだけでスッキリして次の日から幸せに暮らせちゃうの。聞いたこちらはどうなるかというと、そいつが解決しようとしないからイライラが募るの。

多分世の中の人たちはヒトの愚痴を全然聞いてないんだろうね、聞いてるふりして結局自分の話しかしてないんだ。という愚痴をこぼしてしまった。今。しかし大丈夫だ、私はこれを書いて読むことで、そうだな、私はそいつとは縁を切ろう、って思えるんだ。

昨日の朝、ちょっと今やっていることに対しての不満をつらつらと書いていたんだけど、上司が突然現れたので一時保存にしてあとで読み返したんですよ、続きを書きがてら。そしたらまるで愚痴野郎のようにグチグチ書いてて、みっともなかったのでその記事は没にしました。愚痴野郎の一番いやなところは自分で解決しようとする意志が見られないところなんだけど、その一歩手前の「ねーねー聞いてよ私こんなひどい目にあってるんだよ」系の語りをしてしまったよ。なんだよ自分がひどい目に遭ってる様を語るなんて惨めそのものじゃないか。武士でも農民でもないけど、理想を捨てるのは最終手段だぜ。

愚痴野郎にはなりたくないね。